2016/05/07
再び閉塞の場所へ
小学校5年生の夏、町に初めて出来た大型書店紀伊国屋。
いつものようにわくわくしながら立ち読みをする。
二十代と思われる知らない男性に声を掛けられた。
「君はこういう本が好きなの?」
「ちょっとついてきて」
非常階段の踊り場へついて行った。
その後の空白。
何度かこのブログでも触れているのでこれ以上は書かない。
なんでも話せた姉にも一度も話さなかった出来事。
それは、自分の今の家族にも。誰にも話さなかったこと。
夢や幻想だったんじゃないかと自問自答を無限に繰り返した。
誰も信じてはくれないだろうと諦めた。
隠していたというより、話す気になれなかったという感が強い。
その後の父の事業の破綻。家族の死。
小学校6年の夏休み明けの転校。
そして閉塞感が僕を覆う。
中学校2年生。暖かい季節のある日の夕方、
お風呂上りでまだ髪が濡れたままだったと記憶している。
当時毎週読んでいたプロレス雑誌を立ち読みするため本屋さんへ。
何気なく単行本の本棚を眺めながら店内を歩いた。その時にみつけたんだ。
『1973年のピンボール/村上春樹』
なんだか読んでいると息苦しくなった。
でも、なぜだろうか。この本を手放したくなかった。
寂しい気持ちの友達が欲しかったんだと思う。
当時の僕と同じような。
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コリデール。羊の品種のひとつだという名前のシンガー。
息苦しさと寂しさの歌。
再び僕は同じ場所へ辿りついた。そんな感じだ。
世界は変化した。音楽を聴くかたちも。
有名無名など意味は無い。リスナーがチョイスする。自分の感性で。
僕はビョークとコリデールを並列で聴いている。
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何度も読んできたのに『羊をめぐる冒険』のプロローグが
思い出せず、久しぶりに読んだ。
「二十五まで生きるの」と彼女は言った。「そして死ぬの」
もしかしたら、今、僕が抱いている47歳の不安は
20歳の時に抱いていた不安と何も変わらないのかもしれない。
今年の1月、36年ぶりにあの非常階段の場所へ行った。
何も起きなかったし、空白の記憶は何も戻らなかった。
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僕の戦いについて。
お題目・テーマはほとんど決まっている。
どうせ戦うなら大きく出よう。3本勝負だ。
マテリアルと更なる体力づくり。
絶え間なく。
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