2016/05/10

辺境の片隅、存在の証明、そのメモ書き#9

辺境ラジオから②

感情は外部から入る
可愛い 可愛いと子供を可愛いがってる型を真似して仮想的身体運用をしていると後からそういう感情が湧いてくる

逆にいうとあらゆる可能性を僕たちは持っている
悪人になる可能性もあれば
ものすごい聖人になる可能性もある
型を繰り返し演じることによって
降りてくるというか内側から芽生えてくる。それこそ「取りよう」。
武道にも「型」がある。お能にも型がある。型とはつまり体感の送受信。
自分と自分でないものの間での体感の一致がどうしても必要になる。世界の中の自分のありようを調整していく。
それがないと擬態というものは出来ない。
ミラーニューロン。
他者が行っている身体運用を仮想的に自分の脳内で再現できる。
この研究がさらに進むと他者が感じていること、考えていることを身体運用を通じて追体験できるようになる。
人類の歴史の一番の核になる部分は驚くなかれ「見えないもの」を追求している。神とか美とか。
何十万年も見えないものを追求してきて、偶然この100年くらいの間だけ「見えるものに限りましょう」というルールに括られてきただけ。

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