2016/05/12

辺境の片隅、存在の証明、そのメモ書き#11

辺境ラジオから④

よくメディアでは「勝ち組の人生を送るには」ということが紹介される。その答えは簡単。「負け組をつくること」
相対的な勝ち負けに固執する人間が合理的に発想すれば必ず周りの人間のやる気を殺ぐ方向に力を注ぐ。

したっていいじゃない。高校生だって。「アメリカの大統領選挙の展開について君はどう予測する?」「ギリシャ国債はこれからどうなると思う?」って。
(電車の中での高校生の会話を聞いてると)知的好奇心を起こさないよう意識を分散させるのに必死。話がグルグル回るだけ。同じセンテンスを何度も繰り返す。話を深めない。展開しない。参加者全員が一致協力している。知性の活性化を潰しあっている。
知性を活性化するのは簡単。相手が何かを言い出した時に話を遮らないで「もっと話して」「もっと詳しく」「どうしてそうなの?」と展開を促す。


「ナショナルストーリープロジェクト」
一番最近のトラウマ的経験は、ベトナム戦争でも第二次大戦でもない。→子供時代に大恐慌を経験して、その時に自分が何を経験して何を感じたのかということを書けるまでに70年かかっている。
傷の深い経験は受け止めるのに時間がかかる。ぜんぶ説明できるようになるためにはたぶん50年くらいかかる。


マイケルサンデル教授について。
あ、この人インチキと思った。究極の選択の質問なんて考えるだけ無駄。究極の選択を迫られる局面なんて膨大な量の失敗の蓄積の結果だから。そういう事態に立ち至らないために、今ここで何をするかというのが武道的な発想。
聴衆を熱狂に巻き込む喋りというのはアメリカの伝統芸。18世紀に「大覚醒運動」というのが起きてから「白熱的な喋りによる伝道」というのが国民文化として根付いている。スター説教師。1分間に何百語というすさまじいスピードで説教して聴衆は熱狂の渦に巻き込まれる。ロックコンサートとそんなに変わらない。


ディベートなんかもそう。あれが大っ嫌い。
「どんなことでも理屈はこねられるんだから、理屈はこねるな」という結論にたどり着くべき。
悪い意味でのポピュリズムのための技術。風向きによってすぐに賛成を反対に変える。あるいは反対を賛成に変える。でも、そこに説得力がなければ、あたかもその人がその意見を考えたかのように騙される。理屈を越えた矛盾した信念みたいなものが何もない世界。
一種のトレーニングだと思って見れば面白くないか?
そのトレーニングだけで教育が終わってしまう。そういう訓練を受けると、その上で自分がどういう社会をつくりたいかではなく、選挙でいえば「これで選挙に勝てるな」みたいになってしまう。
正しい/正しくないというより、論破できるかどうかとか、違うところに軸がある。


「是非を問う」と言ったところで、是非を問うて毎日生きているかという話。普段だらしなく生きている。それが普通。マイクを向けられたら「是非を問います」とか言って。自分の足元を見て、そこからものを言おう。

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