2016/05/05

辺境の片隅、存在の証明、そのメモ書き#2

一村の手紙
http://www.synapse.ne.jp/saitani/isson.htm

狂った狼 死神先生 これは近頃の私のアダ名です。

いま私の全神経は、絵に向いています。さわられても、叩かれたように驚きます。実に楽しく絵をかいています。絵が楽しくなると正反対に、私の言動は狂人に近くなります。オランダのゴッホも、フランスのセザンヌも、執筆中の夏目漱石も、画室に於ける横山大観先生も、狂人同様であったことを想起して下さい。
いま私が、この南の島に来ているのは、歓呼の声に送られてきているのでもなければ、人生修行や絵の勉強にきているのでもありません。私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしました。

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私は絵と対座して居る時は、勇気はコンコンと泉の様に沸き、生気が体内に漲るのを覚えます。絵を離れるや、深い溜息と身ぶるいと、何者かに胸部を抱きすくめられた様な胸苦しさに、甚しい不整脈となり不安妄想のとりことなります。
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私はフッと死神が傍らに待機して居る様な気がしてなりません。



もう一度自戒しておこう。
私が壊れてしまった理由を認識している。当たり前だ。
それは老いることへの恐れ。
身体は老いるのに、心が精神が、そういうものが成熟していないということ。

若い頃からも、幸せな家庭を手に入れてからもずっとずっと頭をよぎること。
それは私の家系は全員早死にしているということ。
50歳前後で終わる。それはそれでいいと思えてきた。
もっと言えば、もしも終わらなかったらこっちから終わりにしてやりたいという気持ちもある。死への恐怖などない。家族のなかで一番身近で一番大好きだった姉貴の死にざまを観ていて、それは確信した。姉貴は死など毛筋ほどにも恐れていなかった。
問題は存在の証明だ。

私の存在を知ってください。私は生きてこの物語を残しました。
これが最後の戦い。
このブログでなぜ書くのか。弱い人間だからだ。モチベーションの維持だ。
メモ書きとは?戦う準備と戦略と戦術。緻密にやるしかない。才能も技術もないのだから。

メモ書きだから、べつに誤解されてもいいし、そもそも私のブログなど読まれてもいないだろうが念の為書いておこう。
ノンフィクションという番組が僕は大好きだ。
2016年4月3日放送のアマチュア棋士、故天野貴元さんの放送はずっと号泣しながら観た。そういうことだ。

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