2016/06/12

辺境の片隅、存在の証明、そのメモ書き#21

町山智浩さんの映画『太陽がいっぱい』について、から
町山智浩さんが映画評論に目覚めたきっかけについて、ご本人がいろんなところで語られてる。
それは、概略、以下の通りだ。
・『太陽がいっぱい』(アラン・ドロン主演)が公開された1960年当時、「サスペンス映画」として世間では受けていた。
・そのなかで、世界でただひとり「これは同性愛の映画である」と評した人がいた。それが淀川長治さんである。当時、作家の吉行淳之介と淀川さんが対談する機会があり、そこでも淀川長治さんは断言された。「この映画は同性愛を描いたものだ」と。吉行淳之介はそれを否定された。吉行だけではなく、誰もそれを信じることはなかった。
・なぜ同性愛を描いた映画だといえるのか?二つの場面にその理由がある。
①アラン・ドロンが殺害する友人の服を着て鏡の前に立つシーン
②アラン・ドロンが殺害する友人の胸元にナイフを突き立てるシーン
そのうちのナイフを突き立てるシーンについては「ナイフがペニスの象徴なのだ」と。
・淀川長治がこの世を去った後の2003年に『太陽がいっぱい』の原作者:パトリシア・ハイスミスの自伝が発表され、彼女がレズビアンであったことが明かされる。。

詳細をお知りになられたい方は是非町山智浩さんの『太陽がいっぱい』についてを調べていただけるといいかもしれません。
∞   ∞   ∞
昨年、僕の念願だった「内田樹さんに会いたい」という想いは、辺境ラジオ公開収録へ参加出来たことと、MBSスタジオのトイレでばったり御一緒になり、実現した。今年は、是非、町山智浩さんにお会いしたい。町山智浩さんの声を聴いているだけで、僕は勇気が湧く。
(あああ、これ変態みたいだw)
町山智浩さんからはホントに多くのことが学べる。たくさん。たくさん。たくさん。以前、内田樹さんがtwitter上で町山智浩さんは天才であり、一つの映画から紐解かれる話は、大滝詠一さんが一つの歌から展開されることと全く同じだと。
(すみません、これは私の記憶のなかの話。確かこんな内容でした)
先日、内田樹さんが例の舛添都知事のニュースについてツィートされてた。

歴史について考えるときに「なぜ、ある出来事が起きて、『起きてもよかった別の出来事』は起きなかったのか」を考察せよと教えたのはミッシェル・フーコーです。舛添事件の報道資源を割くことで「報道されずに済んだ醜聞」があります。そちらの方がこの国のシステムの本質的劣化を表しているのでは。

これは、僕の想像ですが(というか内田樹さんは確かどっかで同じことを言ってた気がする)二人の天才はミッシェル・フーコー哲学の実践者なのだ。
皆さんは(すみません、このブログの読者は私だけかもしれませんがw)天才になりたいと思ったことはありませんか?このろくでもない生活を自分の才能で劇的に変えてしまいたい、と。
もしくは、よく言われる言葉があります。「天才と狂気は紙一重」だと。
この言葉の意味を日常生活のなかで、具体化するとどういうことなのか。
僕たちは「何らかの判断・選択」をしなければならない事柄がよくある。
例えば、好きになった異性がいる。その相手に自分の気持ちを伝えようか、伝えないべきか。
きっと多くの人は一般論に走る。「このシチュエーションでは伝えないべきだろう。相手の気持ちはだいたい予想がつく」と。僕はここで勝負するべきなのが天才ではないかと思う。少し次元が低いかもしれませんね。しかし、「なぜ、ある出来事が起きて、『起きてもよかった別の出来事』は起きなかったのか」という考察の方程式を実践するというのは、そういうことだと僕は思う。天才の生き方って。「想像力が世界を奪う」なんて言葉が確かあった気もする。

最後にこの「メモ書き」について。
最近はなんだか説教臭くなって嫌な感じもしてます。実は。。
僕がこのメモ書きで何をやろうとしているのか、皆さんが察してる通りで、文章書きのトレーニングの意味合いはあります。でも、それ以上に、最近はね、こんなへんてこりんなブログをわざわざ読んでくれている人がもし一人でもいらっしゃるのであれば・・とおもって、一生懸命続けてます。
これからも宜しくお願いします。

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