2016/06/02

宗教的儀式のように聴く音楽 その2

辺境ラジオでおなじみの名越康文先生が言ってた。山の手線に乗ると自分の中で非常警告がものすごい音で鳴り出す、それぐらい病んでいる、多勢の人が病んでいる、と。(名越先生は精神科医)
今朝、久しぶりに山の手線に乗った。大阪では味わえない空気。これはなんだろうな。
無名の若者ミュージシャンの歌を多くチェックする中で気付いたことがある。新しい物語の創出を願っている、そんな感じのことだ。
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先の記事でふれた「NO」の物語は今の日本ではダメなんだということ。渋谷陽一さんが語る。なぜ自公政権の支持率が下がらないのか、それは野党やらの「NO」の物語に人々が歓心がわかないからだと。10万人の若者たちのデモ。あれは「立憲主義」という「YES」の物語なんだと。
話が戻る。若者ミュージシャンをチェックする中で気付いたこと。よく歌われる「元気を出そう」という歌詞。これは「YES」の物語なようで、じつは「NO」の物語だ。なぜならば、聴き手のロクでもない過去を肯定してしまうから。(もしも不愉快な気持ちになられた方がいらっしゃいましたらごめんなさい。これは自分自身への戒めの意味もあって書いてますので。。)
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1ヶ月ほど前、エレファントカシマシの「パワーインザワールド」という歌を5時間リピートで聴き続けた。自分の中の血をすべて変えてしまいたい気分だったので。これってホントに宗教儀式的な聴き方だな(笑)。宮本浩次さんは元気になれとは歌っていなかった。なんだろうな。宮本さん御自身を戦いに奮い立たせるために叫んでるみたいな歌でしたよ。

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