「アメリカは日本の消費税を許さない/岩本沙弓」より
米国は怖い、米国が悪い、特定勢力のなせる業である等々、こうしたことに偏り過ぎた議論は米国のせいにすれば丸く収まる的な発想に陥る可能性がある。
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「外圧」の部分だけがクローズアップされてしまう。悪いのは全て海外と安易に片付けてしまうことが、問題の本質であったり、問題の所在であったりすることを隠してしまうリスクが多分にあり、実はこちらの方が深刻なのではないかと考える次第である。
∞ ∞ ∞
オバマ大統領の広島でのスピーチ。抒情詩的であり多くの人々が感動した。
違和感を持つ人はいないだろうか。ごめんなさい。僕はただのしがないサラリーマンです。思想信条など人に語れるものなど持っていない。でも、なんだか違和感がある。
広島で米国大統領が感動的なスピーチをやった、そこに価値がある・・そうなのか?
本当にそうなのだろうか。東西冷戦に幕引きしたゴルバチョフ。彼が名演説を残したという記憶は僕にはない。
もう一人政治家の名前を出そう。小沢一郎。
近頃はまったくその名をきくことのない、力を失った「剛腕」小沢一郎。彼は無口で無表情で演説で評価をされたという記憶はない。彼が悪事をしたのかどうかは論じない(個人的にはハメられたと思っています)。ゴルバチョフの最後は確か拉致監禁されたりなんだのかんだので、失脚させられたような流れの終焉だった記憶がある。(まだ終わってしまった人ではないけれど)
確かに政治家には指導者的な意味合いも必要なのだろう。キング牧師のように。もっと簡単に言いたい。例えば、坂本龍馬が日本の未来図を示す名演説をし、その場で暗殺された・・もしもの話だけれど、薩長同盟やらなんやらの龍馬が事実上残した「実務者」としての歴史ともしも話を比較してイメージして欲しい。まぁ、そういうことだ(笑)。しかし、岩本沙弓さんが指摘する「隠れてしまう本質」とはそういうことじゃなのか。情緒に弱い。この国の流行る歌もコード進行はだいたい定型化されている。話を変えよう。
先の記事も、今回の記事も直感的NOの話をしてしまったけれど、どうやらこの国の今の現状は「NO」の物語だけでは多くの歓心を得ることは出来ない、というのが「今」らしい。それについては、次回、渋谷陽一さんの登場にて記事を書こう。
上質な物語を作ることが出来ても、その時代にそぐわなければ、勝ち目はない。そういうことです。
2016/05/30
2016/05/29
辺境の片隅、存在の証明、そのメモ書き#19
「アメリカは日本の消費税を許さない/岩本沙弓」より
日本経済は長らくの間、日米交渉の誤謬の上に成り立ってきたのではなかろうか。そして、ごく一部の利害を重視する余り、両国民の多くがその実態を把握しないまま、作為的に協議が進められてきたのが日米の貿易、通貨、政治交渉の歴史だったのではないか。過去の公的な文献を調べれば調べるほど、そんな気がしてならないのである。〜〜国の大半を占める、つまり国家の経済基盤を支えている一般国民の生活の安定を図ることは、一部の強者の利害を超えて尊重されるべきなのではないのか。そんな意識が私の執筆の原点にある。
∞ ∞ ∞
岡崎京子さんとの会話は一旦閉じて、経済について。知らないということは負けに通じる。日本の敗戦、アメリカが強い国だと知らなかった。「知らなかった」は営業職という結果が全ての世界では論外な云い訳だ。もちろん、国も人の人生も負けなければならない時がある。しかし、なんだろうな。僕は今、負けるわけにはいかない、そういうことだ。無限大の可能性が広がる二十代とは違う。
あまり知られてはいない岩本沙弓さんという経済評論家。彼女は暴く。暴く暴く。この国の欺瞞やら、支配層やら。これをいうと、狂人だと思われるが、既に頭がおかしなおじさんだと思われているので、書いておこう。この国は既に、かなりの分野にCIAのエージェントがいる。裏付けやら、ソースなど示さない。直感だ。そもそも、反抗や反骨というのは体感としてNOをいうことだ。
2016/05/27
人の輪の中に入ることは出来ますか?このタイトル・・おいおい、大人かよ(笑)
初夏の週末の夜ですが
みなさん、どうお過ごしでしょうか。
じつは、今夜、
心斎橋にあるアイリッシュバーで
開かれるパーティーに
誘われてたんですが
ウソついて行かなかった(笑)
なんだかね・・
僕はどうも人の
話の輪に入れないという・・
僕はお酒は付き合い程度しか
飲まないので
いわゆる「スナック通い」って
したことがなく
キャバクラとか
そういうところも
御客さんの接待とかでしか
行ったことがないんですね
そうそう
時々ブログにも書いてますけど
これでもけっこう
優秀な営業なんですよ、僕は(笑)
「心の暗黒みたいなブログ書く人が?」
とお思いでしょうけどね
仕事する時は
ちゃんとスイッチを
ONにするんですよw
みなさん驚きますよ
だって接待で盛り上がらない時は
素っ裸になって
きゃっきゃっきゃっきゃっ
しちゃえるんですよ。僕は(笑)。
でもね
スイッチがOFF状態ですと・・
ちなみにですが
僕はお酒を飲む居酒屋とか
バーなどのお店を
今までで好きになるとか
通ったなんてことは一度も
経験なかったんですよ
でも単身赴任生活が
淋しいんでしょうね(笑)
じつは最近好きになった
近所のショットバーがありまして初めはドキドキしながら
お店の扉を開けましたよ
そしたらこちらのお店は
ホントに御客さんが少ないんですよ
僕はひとりで
可愛らしいおばさんのママと
会話しながらワインを飲むんですけどね
なぜだか昨夜は4人ほどの
近所の30代男女の
御客さんとテーブル席で
飲んだんですよ
御客さんとテーブル席で
飲んだんですよ
でもね
やっぱ僕はOFF状態だから
人の輪に入れない(笑)
なんというんですかね
文言でこの状況を
説明しにくいんですけど
平たくいうとですよ
どなたかが話をしてても
僕は全然その話に
身が入らないんですよ(笑)
いや、身が入らないどころか
まったく違うことをずっと
考えてたりとか・・
で、ふっと気付いて相槌を
適当にうったりとか・・
ホントにね
楽しくない
というよりも
大きな苦痛!(笑)
写真は箕面の温泉から
雨に煙る大阪の夜景
そうです
どちらかというと僕は
ひとりぼっちで
雨のなかで
写真撮ったりする
ことのほうが好きですw
でも淋しい・・
なつきのの悪い猫みたいでしょ(笑)
2016/05/26
辺境の片隅、存在の証明、そのメモ書き#18
『岡崎京子/戦場のガールズ・ライフ』より⑤
「寄書き:『みなさん』の話は禁句/小沢健二」より
1996年生まれで、15才で創設した今やスタッフ80人のメディア企業を率いるメディア王女、タヴィ・ゲヴィンスンは、ティラー・スウィット(アイドル的な人気を持つシンガー・ソングライター)についてこう言っている。「ティラーが高校を卒業したのは何年も前なのに、彼女が今も高校時代のことを歌詞にし続けていることについて、ある記者が質問したの。そしたらティラーはこんな風に返事したの。『じゃあ、何についての歌詞を書けばいいの?マーケティングの会議?』って」
∞ ∞ ∞
ここから、小沢健二さんは「ヘルター・スケルター」を通してスターと「みなさん」(ファン)の関係性について語られる。少しだけ紹介すると、「みなさん」の話をすることは禁句・・・これは売春婦が客のおっさんの話をすることがNGということと同意であり、その禁句を描いた「ヘルター・スケルター」。
岡崎京子さんはフリッパーズ・ギターが大好きで、再結成をとても望んでいられた。きっと、今も。
小沢健二さんも、岡崎京子さんの新作を楽しみにされていらっしゃるんだろうな。
僕は、車で移動中によくフリッパーズ・ギターを聴く。退屈な時にハミングするポップミュージックって、とてもとてもいいですよね。特に、女の子にとっては、いつもいつも、そーいうポップスをハミングするような日常が一番いいのかもしれない。岡崎京子さんも、そーいう風にご自身の作品を読んで欲しいと思われてるのだと思う。「音楽みたいなマンガ」とはそういうことだと思う。では、「ヘルター・スケルター」はどうだろう。スターになりたい、アイドルになりたい、キレイでいて世界中から愛されたい・・。そこは退屈な日常ではなく「ひっちゃかめっちゃか(ヘルター・スケルター)」な日々だ。
知ったかぶりな言い方かもしれないけれど、残酷なモンキービジネスだと思う。アイドルとかなんだとかというのは。だからと言って嫌いではないし、どちらかと言えば好きな世界です。もっと言えば、僕が今、賭けに出てやっていることはアイドルを目指す女の子たちと似たようなものだ。
そうだな、もう、既にやられている女性がいるかもしれませんが、たとえ無名のまま、醜い老いた姿になってもキラキラしたオーラだけは失わないで死ぬまでやり遂げる女の子がもしいたら素敵だと思う。「ヘルター・スケルター」の続編が、片目を失くしたりりこの素敵に老いた姿だったら、どれだけの女の子たちが勇気をもらえることだろう。
2016/05/25
2016/05/23
辺境の片隅、存在の証明、そのメモ書き#17
『岡崎京子/戦場のガールズ・ライフ』より④
「80年代」より
ブレード・ランナー的な廃墟のイメージもあって、みんなで「いつ死んでもいいね」とか「核爆弾が落ちてこの世の終わりが来たらステキだろうな」なんて言っていて、組み合わせのゲームの終わりを恐れずに遊ぼうというような感じで楽しんでいたんですね。
(「STURM」5号 1994年11月)
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「家族」より
奇妙な家無き子(家はあっても家は無し)、おかどちがいな孤児(親はいても親は無し)として生きる事。それは今、誰もが余儀無くされている事かも知れません。でも魔法を手に入れるチャンスは充分あります。いくら負けが込んでいても。いつか。そして裸足で歩き出しましょう。サイズの合わない靴でヨタヨタ歩くより、裸足で歩くことを。熱砂の中を、裸足で進んでいった無謀なディートリッヒのように。
(「ハッピィ・ハウス」あとがき 1992年)
∞ ∞ ∞
僕のメモ書きは、まだまだ岡崎京子さんとの会話が続く。
自分の感性で発する言葉とはいったい、なんだろう。
「核爆弾が落ちて・・」なんてことは周囲を気にしていては言えないことだろう。
熱砂の中を裸足で進んでいく・・・それはいったい、なんのことだろう。
僕はただの・・というより出来の悪いフツー以下の会社員だ。妻は3匹の猫と一緒に毎日寝起きすることに幸福を感じるフツーの家庭の女性だ。でも、二人だけしか知らない辛辣な経験と出くわした修羅場がある。それは、二人だけの物語だ。それだけでいいと言えば、それだけの生活でいいのだろう。特別な能力ではないかもしれないけれど、妻は太宰治の人間失格を学生の頃読んで、ゲラゲラ笑ったらしい。この物語はそういう笑いを取るのが作家の意図するところだと思っていたと。
なんだろうな。僕が言いたいことは。。。
∞ ∞ ∞
小説も音楽も映画もすべて、更にいえばtwitterのつぶやく言葉もFBにのせる記事も、作者側が発して手離したその時から、その作品も短い言葉のつぶやきも写真も何もかも、それらは全て、受取る側のものになるということだ。俺の作品とかアタシの作品とか、プロもアマも関係ない。芸術家も一般人も。
『そういう考え方があるかもしれないけれど、人それぞれだ』とかいうことではない。
真実。ルール。
正義はいつも臆病者の手のなかに、ということだと思う。
念の為に意味がわからない子供たちの為に付け加えておこう。
臆病者とは読者・リスナー・フォロワーのことです。
「家族」より
奇妙な家無き子(家はあっても家は無し)、おかどちがいな孤児(親はいても親は無し)として生きる事。それは今、誰もが余儀無くされている事かも知れません。でも魔法を手に入れるチャンスは充分あります。いくら負けが込んでいても。いつか。そして裸足で歩き出しましょう。サイズの合わない靴でヨタヨタ歩くより、裸足で歩くことを。熱砂の中を、裸足で進んでいった無謀なディートリッヒのように。
(「ハッピィ・ハウス」あとがき 1992年)
∞ ∞ ∞
僕のメモ書きは、まだまだ岡崎京子さんとの会話が続く。
自分の感性で発する言葉とはいったい、なんだろう。
「核爆弾が落ちて・・」なんてことは周囲を気にしていては言えないことだろう。
熱砂の中を裸足で進んでいく・・・それはいったい、なんのことだろう。
僕はただの・・というより出来の悪いフツー以下の会社員だ。妻は3匹の猫と一緒に毎日寝起きすることに幸福を感じるフツーの家庭の女性だ。でも、二人だけしか知らない辛辣な経験と出くわした修羅場がある。それは、二人だけの物語だ。それだけでいいと言えば、それだけの生活でいいのだろう。特別な能力ではないかもしれないけれど、妻は太宰治の人間失格を学生の頃読んで、ゲラゲラ笑ったらしい。この物語はそういう笑いを取るのが作家の意図するところだと思っていたと。
なんだろうな。僕が言いたいことは。。。
∞ ∞ ∞
小説も音楽も映画もすべて、更にいえばtwitterのつぶやく言葉もFBにのせる記事も、作者側が発して手離したその時から、その作品も短い言葉のつぶやきも写真も何もかも、それらは全て、受取る側のものになるということだ。俺の作品とかアタシの作品とか、プロもアマも関係ない。芸術家も一般人も。
『そういう考え方があるかもしれないけれど、人それぞれだ』とかいうことではない。
真実。ルール。
正義はいつも臆病者の手のなかに、ということだと思う。
念の為に意味がわからない子供たちの為に付け加えておこう。
臆病者とは読者・リスナー・フォロワーのことです。





