1992年の5月11日。クラブチッタ川崎。マニック・ストリート・プリーチャーズ。ジェネレーションテロリスト・ツアーの日本公演。世界中のチャートでNo1になるアルバムを出す。そして解散する。そう宣言したデビューアルバム『ジェネレーションテロリスト』。彼、リッチー・エドワーズは25歳。当時、その本気を示すために「4REAL」と記者を前に腕にナイフで刻んだ。スキャンダル。世界はニルヴァーナを筆頭にグランジロックが席巻してた。90年前後に登場した新しいパンク。ストーンローゼス。マイブラ。ライド。イギリスの田舎町の文学青年だったリッチー・エドワーズ。彼はニルヴァーナに何を想っただろう。新しいロックスター/カート・コバーンの登場に何を想っていただろう。
話を戻そう
1992年5月11日
クラブチッタ川崎
パンクパンクパンク
ダイブダイブダイブ
それは狂乱の宴
MCはなかったと思う
記憶にない
でもリッチーが笑ってた
それだけはおぼえてる
今でも
その後の解散宣言撤回
人気バンド
マニックスの誕生
1995年
リッチー・エドワーズ失踪
当時27歳。
僕は彼の一つ下だから
26歳だったんだけれど
失踪のニュースをきいて
確信してた
その動機を
イアン・カーティス
『25歳を過ぎても
生きてるなんて
バカげてると思わないか?』
もうひとつ確信したこと
今でも確信すること
リッチー・エドワーズは
どこかで生きている
ココロのなかでではなく
現実世界で生きている
その確信の理由は
あの時の彼が
笑っていたから
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