2016/07/24

情念が宿るもの

Facebookを最近、定期的にチェックする習慣が戻りまして。
FBのなかで『写真大好き』というグループに参加しておるのですが、私が自分の作品をそのグループの掲示板に上げたことは一度もないのです。ばーっと流れるでしょう?多くの作品がそれぞれのタイムラインに。なかには、とてもアマチュアカメラマンの作品とは思えないものがあったりするのですけれどもね、私にはピンとこないのです。これについてちょっと考えたんです。
みなさんは写真集を手に取ってみられたことありますか。一人の写真家(プロ・アマ問わず)が撮った写真を連続して目にする、もしくは、雑誌で「一人のカメラマンが撮影した」と判明する形式で載っているものを目にするとき、何かを感じませんか?
FBのグループで大量に流れる写真を目で追うとき、それは「写真大好きグループ」の写真としてしか伝わってこないんです。なぜでしょうか。インスタはどうでしょう?最近、じつはインスタにハマっているんです。海外の美しい女性ばかりを100人ぐらいフォローしまして(笑)常にその美しい系の女性の写真が流れるんです。ちょっとだけFBの写真大好きグループとは違うものを感じます。テクニカルなところでは写真大好きグループのほうが上かもしれません。でも、一瞬にして受けるインパクトはインスタのほうがある。(あっ私が美しい系の女性写真だけ選択してるせいではなくですよ)それは、お気づきかもしれませんが、インスタは個々のパーソナルを前面に出しているからでしょうね。「写真」をアピールするのでなく「三浦果実の写真」がアピールされるからなんですよ。余談ですが、インスタの凄いところがもう一つあって、それについてはここで話すのももったいないぐらいハッとみなさんがされるであろう話なので、また今度(笑)。
写真って、これをみなさいよって感じで流されると「ただの空」「ただの街」「ただの人」でしかみることができない。街を歩いていて通り過ぎる人々をみているのと同じ。
「あなたにこの写真をみてもらって伝えたいことがある三浦果実を知ってください」という情念が宿らなければならないと思うんです。「写真で思いを伝えたい」ではないですよ。なんだか、こう、「この写真をみてると撮った人がどういう人なのか知りたくなるよね」のほうがいいんじゃないかと思うんですよ。ああ、なんか、今回の話は本当に独断と偏見かもしれないな。



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