2014/11/03

欠落したものを埋めるよりも

ブロガーというものは
アクセス数やら読む人を
やたら意識すると
面白くもないし
続かないものだ。
ということを
最近やっと理解した。
読み物として面白いやら
自分のセンスやらをみせて
それがなんだというのだろう。
面白い読み物なんて
プロの文筆家が
お金を頂戴して書くべきものだ。
ということに
最近やっと気付きました。。
極私的な、
読んでも全然意味不明で
へんてこりんなブログこそ
ブログとしてあるべき姿なのだ。

最近、JAZZを聴くことの
心地よさというか
感性というものが
やっと判りだしてきて。
今もチェットベイカーのベスト盤を聴きながら
キーボードをぱちぱち打ってるんですが、
JAZZの聴き方というか、
良さというのはこういう感じなんだと
ピンときたのはチェットベイカーの
心地よいトランペットがきっかけで・・・
いえいえ「心地よい」などと
安易な表現では言葉が間違ってる。
極私的な感じを言うと
チェットベイカーさんの演奏は
「演奏しない演奏」・・
んん難しいのですが
そういうことなんですよ。
私が感じたのは。
それはブロガーは
極私的であってこそ
ブログというのと同じ
(まったく次元は違いますけどね)
なのではないかと。
彼にとっては
JAZZも音楽も聴衆も世界も
眼中になかったと思う。
トランペットに吹き込む前方の
1mm前すら眼中になかったと思う。

チェットベイカーは
天才だけれども
成功者とはほど遠い。
若き頃の一瞬の輝きと
その後のドラッグによる
生活保護を受給するまでの転落。
最後は謎の転落による死亡。
最後まで世界との折り合いを
つけなかった人生であり、
自分の欠落してるものを
とりあえず埋めてみようかな、
なんていう方向へは歩かなかった。
では彼が何を求めていたのかという
命題が残る。

チェットベイカーの
ドキュメント映画
『レッツ・ゲット・ロスト』
「失くしちゃおう」みたいな意味。。

そうです。



欠落してたのではなかったのだ。


もともと埋まってた
ジグソーパズルの
ピースを捨て続ける
逆の至福。


欠落したかったという気持ち。。



ひとつの教訓として
覚えておきたい。

私たちはいつもいつも
自分に不足していることに苦悩する。
成功者を見ては焦る。
打ちのめされている自分自身を
更に自ら追い打ちをする。
私たちは気付かなければならない。
不足なんてしていないのだ。
やるべきことは不用なものを
捨てる作業だ。
ほんの少しだけ
勇気がいるのかもしれないけれど。

3連休の最終日は
久しぶりに写真でも
撮りに外へ出よう