2014/10/19

映画『私の男』と娘との関係について

今年の夏は
映画『私の男』
一人で映画館に
観に行った。
22才の娘を持つ
四十過ぎのオヤジが
一人で鑑賞するには
少しアンバランスな
この映画は、
父と娘の近親相姦の映画である。
私がこの映画をテーマにして
ブログなどを書いてる時点で
家内からは白い目で
みられることは間違いない。
というか、
この映画をテーマにして
よくおっさんがブログを書けるねぇ、
なんて言われても仕方がないくらい
特に男性にとっては
気恥ずかしいテーマの映画だと思う。
(ここから先の一言はネタバレ注意!)
この映画を観てよかったなぁと思うことは、
この手の映画によくある
(このような言い方で一般化してしまいまして
映画関係者の皆さんごめんなさい)
「救いようのない映画」的な
エンディングではなかったことだ。
もしも22才の娘と二人で
鑑賞したとしても
「最後はよかったよね~」
なんて感想を述べ合うことが
可能な終わり方だと思う。
ところで、
今回の記事で主張したいことは
~このように仰々しい
言い方が出来る程
ここのブログを読まれてるかたは
多くはないかと思いますが、
一読いただいてる方には感謝です!~

「人生の中盤を過ぎた男にとって
大人になったばかりの
娘の存在とは何か」
という結構「あるある」的なテーマだ。
このテーマについて語る前提として
私が子供嫌いであるということを
お断りしておく必要がある。
私は子供が嫌いなのです。
だからといって虐待したりとか、
電車のなかで騒がしい子供がいると
睨むとかそういうことはない。
ただ、「かわいいねぇ」とかなんとか言いながら
子供と話たり遊んだりすることが
苦手というか嫌なのです。
なので、もしも子供嫌いな人が
子供を育てなければならない環境にある、
などという悩みを持たれた方がいらっしゃったら、
きっと私はベストアンサー賞を
受賞するぐらいアドバイスが出来ると思う。
なので、私は彼女(娘)とは
一定の距離を置いて
付き合ってきたと思っている。
(このような言い方をする時点で
アウトと言われる気がする・・)
彼女(娘)がその距離を感じてきたかどうかは
知らないけれど。
先述のアドバイスという意味で
参考になるかどうかわからないけれど
一つだけ心がけてきたことがあって、
それは村上龍さんが
以前エッセーか何かの本のなかで

『外人とか、そういうコミュニケーションが取りずらい相手とは
一緒に何かを楽しむことが大事なんだ』
みたいな話をされており
その「一緒に何かを楽しむこと」というヒントは
すごく大きかった。
(これは娘との関係性だけではなく
いろんなケースで使用可能なヒントだと思う)

ということで、
彼女(娘)が今も好きな
スピッツや椎名林檎や村上春樹や
いろんな映画のDVDなんかは
彼女(娘)がティーンのころから
私がそっと教えてあげて
一緒に楽しんできたものである。
現在、とくに彼女(娘)との関係のなかで
問題があるわけでもないけれど、
一つだけ気になることがあって、
それは
「以前はほとんど毎日
彼女(娘)のことを想っていたけれど、
今は2~3日に一回程度になったような気がする」ことだ。
確かにもう彼女(娘)は
大人だし社会人として働いていて
多くの友人や素敵な彼氏が回りにいて
二十代を無難にエンジョイしているわけだから
私が心配することが
なくなったと言われれば
それまでのことなんだけれども、
逆に「これでいいのか」と
考えてしまうわけです。
例えば彼女(娘)が会社で
苛められて毎日一人で深酒して
無断欠勤した、
なんてことがあれば
直ぐに隣に寄り添って
一緒にロックンロールに浸りながら
「そんな会社は辞めてしまえばいいんだよ、
俺が誇れることは14回転職したことだ」
なんて言って励ましたりして
彼女(娘)の人生の分岐点の一助に
なってみたいなことがあると、
なんだか自分自身の
存在意義みたいなものがみえてくる。

自分にとっての娘の存在とは何か
というテーマだったのに
「娘にとっていい親父でありたい」という
ただの自分の欲望を書いてしまったっ。。


2014/10/11

新しいシャツで出かけるような気持ちで


10月9日は
ジョン・レノンの誕生日であり、
私の誕生日でもある。

新しく何かを始める、
生活習慣を変えるにあたり
誕生日というものは
適当な節目になる。
今年の誕生日は
なんだかそういう分岐にしたい
という気持ちが強かった。

それは昨年の暮れに
大滝詠一さんが
亡くなられたことが
ショックだったからかもしれない。

何度も何度も聴いてきた
ナイアガラのレコードから
少々遠ざかっていたけれど、
5月から9月にかけて
大滝詠一さんが残された
文献やらラジオ放送やらを
たくさん読み聴きした。
同じく村上春樹さんの作品群を
もう一度読み返した。
大滝詠一さんの「ロングバケーション」と
村上春樹さんの「1973年のピンボール」は
自分で選んで好きになった
趣味の原点だ。
大滝詠一さんと
村上春樹さんの
作品に出会ったのは
1983年。
私が中学二年生の時で、
その2年前の小学校6年生の
二学期の始まりから
新しい小学校へ転入した。
ずっと仲良しだった友達と
卒業を半年前にして別れて、
また新たな友達をつくるということは
辛い出来事で、
「友達」ということを
意識することなく
遊べる仲間ではなく
意識的に仲間に入って
いかなければならない
という行為により
私は自意識というものを知った。
それは閉塞感の始まりであり、
ひとりぼっちで感傷に浸る時間が
好きになっていく。
清涼感と無機質な感じだけれども
なんだかとてつもなく
悲しいものが漂う
「ロングバケーション」と
「1973年のピンボール」。
それは、「作る」という意識を
せずとも手に入った
友達のような存在だったんだよなぁ。

14歳から今の今まで、
「どう生きたいのか」という
手本にしたものは
大滝詠一さんと
村上春樹さんだったのだと思う。
「生き方」なんて仰々しい言い方も
変だけれども
46歳になった今は
「生き方」を考えてもいい頃だ。

特別に優秀な人間でもなく、
裕福な成功者でもなく、
仕事に追われる一日は
時間の流れも一瞬と感じる
無色で味気のない日々を
過ごす私だけれど、
「よかったなぁ」と言える程度の
結末は迎えたい。
では、ハッピーエンドを
迎えるために
今の私には何が
必要なのだろう?

十代の頃に
聴いても読んでも
意味がわからなかったことが
今読むとわかることってある。
上手く文章にすることが難しいけれど、
大滝詠一さんと村上春樹さんから得られた教訓は

「新しい発見と自己変革が自分自身を楽しくさせる」ということ。
すごくチープな言葉で、
まったく個人的なとらえ方なのだけれど、
僕はその教訓をもって
英会話の習得やダイエットに挑戦することにした。。

なんて回りくどい話を
しているのだ私は。。

~以前村上春樹さんは
自身のエッセーのなかで
私の作品から読者が教訓を
得てもらえることが
嬉しいというようなことを
仰られておりました~